語る藤本氏

実は福岡県出身!高知移住歴20年藤本哲平が語るBJJとの出会い

どうも、具足BJJ歴2年の藤本です。最近乗りに乗ってる大学生柔術家古閑君とのじゃんけんに負けて、「次のブログお願いします」と門屋代表に笑顔で言い渡され久しぶりに文章をひねり出すことになりました。折角なので、アラフォーのおっさんがなぜか紫帯(予定)になるまでの2年くらいを徒然と書いてみようと思います。

「春野町にある一領具足のキックボクシングクラス(現MMA打撃クラス)行ってみません?」

幼少期より、4つ年上の兄と取っ組み合いを続けていた私は、普通に過ごしているつもりが無自覚系暴力をふるう少年期を過ごし、それを自覚すると共にテニス、バドミントンなど非接触系スポーツをするようになります。例外として2ヶ月だけ大会要員の助っ人として柔道部に所属しましたが、寝技で主将の肩を引っこ抜いてしまいました。そういうわけで他人に怪我させないようコンタクトスポーツは避けていましたが、「キックボクシングクラス行ってみません?」職場の人に誘われ、まぁ、無意識に体がぶつかる系でなければ大丈夫かな、と甘い認識で、我らが一領具足のキックボクシングコース(現MMA打撃クラス)にたどり着きました。そしてどうやらブラジリアン柔術クラスがある、と知ります。

「足だけでやりますんで」

キックボクシングクラスの講師をしていた野地さんに聞いてみると、「体験してみますか?僕は足だけでやりますんで」とおっしゃる。・・・いってくれた喃。足だけだと?一泡吹かせてやろう!とつい、怪我させない信条を忘れ、寝転がって足を掲げる野地さんにアラフォーおっさん襲い掛かります。が、なんということでしょう、押しても引いたり飛び越してみようとしたり走ったりの全てがちゅるんちゅるんとかわされ、全く通用しませんでした。気づけば私は数分間笑いながら最後まで暴れていました。そうか、ここの人間相手には全力出しても大丈夫なのだ、と、実感できました。ただ、今は誰にでもはやってはいけないような気がします。気のせいですか。そうですか。

「バスター(スラム)だめですよ」

その次の日、早速柔術の練習へいきました。そのときの先生役の小島さんが下からの三角締めを仕掛けてきました。初心者の私は技に戸惑いしばし固まり、混乱の末脳裏に浮かんだのはプライドのムキムキの選手がやっていたパワーボムで解除!おもむろに立ち上がり、小島さんを持ち上げて背中からドンっ・・・まぁ道場内の空気が凍りました。すぐに誰かに真顔で「バスター(スラム)だめですよ」、といわれ、周りの先輩方も真顔でこちらを見ていました。これは覚えました。「バスターはダメですよ」と。こうしてちょっとずつ学んでいきます。
・・・いつもは優しく教えてくれますよ。

「楽しそうに柔術しますね」

それからだんだん道場に顔を出すいつもの面子の一員になっていきます。色帯の方々には子ども扱いされ、文字通り手も足も出ませんがそれでも楽しかったです。白帯相手には反対に暴れていたら通用して、それも楽しかったです。和田さんに「楽しそうに柔術しますね」と呆れられながらいわれていました。今もです。なんせ全力出していい相手が沢山いるのですから。今後もお願いします。そうして暴れて満足して帰っての日々でした。
そのころは技の練習など、いまいち理解できていないのにその時はなんとなくでき、次の回にはすっかりわすれてしまっていました。そんな感じに技術がろくにつかないまま試合に出ることになります。

「100回の練習より1回の試合っすよ」

初試合ではなぜかシステマ使いと対戦、引っつかんでぶん回して勝利、二試合目は三角十字を受け一本負けでした。両試合なんかあっという間でした。「いつもの野生の動きでした」との横山さんの感想でした。一番緊張したのは初試合より、具足が団体優勝を目標とする四国選手権大会でした。試合開始後、記憶が飛び気がつくと2分経っており、握力もなく、全身がもう動けないくらい疲れていてどうしようかと思いました。しかし、そこからはセコンドの皆さんの声どおりに「ぶんまわせ!(渋い上園ボイス)」ぶん回しました。そして勝利しました。試合経験後、勝った試合も負けた試合もいろいろと思い返し、目標を持って練習するようになりました。確かに試合に出るのを渋る私に具足の(筋肉)壁、土居さんが常々言っていた「100回の練習より1回の試合っすよ」でした。

「tired・・・・」

2年目に入り、気づけば青帯になっていました。しつこい動きには磨きがかかり、和田さんに30分スパー後に「藤本さんゾンビみたい。私股間に絶倫ってパッチプレゼントしますよ」、同期のライバル野村さんに「もういや!こいつ!」「手加減しろおっさん!」(たぶん無意識)と順調に嫌がられるようになります。そんな中、国際的草試合の大会ドゥマウに出場することになりました。相手は韓国のマスター1(5~9歳年下!)。散々「韓国の人のフィジカルはすごい」と脅され試合に臨みました。同階級は韓国の彼と二人のエントリーのため、階級別と、その延長戦、無差別級と戦い、2戦勝利。対戦前「ふじもとさん、よろしくおねがいします」と爽やか笑顔だった彼は、2回目の対戦後はただ「tired(疲れたよ)・・・」と言っていました。彼の体力を削りきれたようです。

「強いなぁ」肩ポン

その後2回目の四国選手権大会に出たときには、試合中も息切れしなくなり自分でもびっくりです。さらにスタミナの壁を越えたなと実感。40のおっさんなのに最も伸びたのはいぶし銀の技ではなくフィジカルです。増量失敗(76kg級に68kgで参戦)で優勝してしまったため、またもやストライプがたまり、2020年の10月には紫帯になってしまいます。紫帯になるからには後進の柔術家を教えられるようになる、と練習に励んでいますが、最近ようやく技練習で代表や先輩がたが何を言っているのか何をやっているのか少しわかるようになってきた段階です。それも頭でなく体が。まぁでも、今の私は、学生柔術家古閑君(白帯)に肩をぽんっと叩かれ上から目線気味に「強いなぁ」と褒めてもらえるくらいには強くはなったようなので、少しは自信を持っていこうと思います。今後は「巧いなぁ」と褒められるように柔の藤本へと進化していきたい、と思いつつやっぱりどたばたと動き回る今日この頃です。
 
こんな感じでアラフォー柔術家ができあがります。参考になりますでしょうか?

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